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シリーズ「免疫毒性研究の若い力」5
有機リン農薬による免疫毒性のメカニズム
日本医科大学衛生学公衆衛生学
李卿

【はじめに】
 世界各国では今でも毎年大量の有機リン農薬が販売・使用されている。有機リン農薬は、アセチルコリンエステラーゼの活性阻害による急性中毒を起こすことが良く知られているが、近年、毒性の比較的低い有機リン農薬に変わってきたため急性有機リン中毒は急激に減少している。一方で、低毒性の有機リン農薬による生体への慢性的な影響、特に腫瘍監視機構の機能低下による発癌、化学物質過敏症、アレルギー等の免疫関連疾患のリスクの増大が懸念されている。化学物質過敏症などには、有機リン農薬の関与が示唆されているが、有機リン農薬の免疫系に対する影響は明らかになっていない。従って、有機リン農薬の免疫系に対する影響を明らかにすることは、予防医学・社会医学上極めて重要であると考えられる。

【有機リン農薬の免疫毒性】
 以上の背景を踏まえて著者は約10年前より産業・環境化学物質の免疫毒性に着目し、NK (natural killer)、CTL (cytotoxic T lymphocyte)、LAK (lymphokine-activated killer)活性及びリンパ球表面マーカーなどの最新の免疫学的指標を使って、まず染料の中間体p -nitrochlorobenzeneの免疫毒性について検討し、その免疫毒性機序を明らかにした上で化学物質の免疫毒性評価法を確立した(1,2)。1995年3月に東京地下鉄サリン事件が発生し、社会医学的立場からサリン被曝が被災者の遺伝的、免疫的機能に及ぼす影響を究明する必要があると考え、被災者の末梢血リンパ球染色体異常、NK活性等について調べた。その結果、被災者のリンパ球染色体異常率が有意に上昇したことを明らかにした(3,4)。当時朝日新聞もこの結果を大きく報道した。その後、サリン事件ではサリン以外にサリン合成時の副生成物質である有機リン化合物diisopropyl methylphosphonate (DIMP)、diethylmethylphosphonate (DEMP)およびサリン合成時の反応促進剤と安定剤としてのN,N -diethylaniline (DEA)にも被曝したことが明らかとなった。サリン被災者におけるリンパ球染色体異常の原因を究明するために、より多くの被曝物質について調べる必要があると考え、副生成物質DIMPとDEMP及び安定剤DEAの遺伝毒性を検討した。その結果、DIMPとDEMP及びDEAが強い遺伝毒性を有することを初めて発見し報告した(3,5)。これらの物質はリンパ球の染色体を傷害することから、リンパ球の機能にも影響を与えるのではないかという仮説を立て、平成10と11年度の科研費助成を得て、「DIMPとDEMP及びDEAによるリンパ球の染色体異常はそのリンパ球の機能に影響を与えるのか」という研究を行い、これらの物質による遺伝毒性はその免疫毒性とも関連があることを明らかにした(3-7)。DIMPとDEMPが有機リン化合物であることから有機リン農薬も同様な毒性を持っているだろうという仮説を立て、まず有機リン農薬DDVP、ESP、DMTA、DEP、アセフェートによる人NK (natural killer)活性への影響について検討した。その結果、5種類の有機リン農薬が全て顕著にNK活性を抑制し、その抑制の強さは、DDVP, DMTA, DEP,ESP, アセフェートの順であることを明らかにした。さらに、有機リン農薬DDVPがヒトLAK (lymphokine-activated killer)活性及びマウスNK、CTL (cytotoxic T lymphocyte)、LAK活性も顕著に抑制することを明らかにした。またDDVPに対する感受性は細胞によって異なり、その順位はヒトNK>マウスNK>マウスCTL>マウスLAK>ヒトLAKの順であることも明らかとなった(8)。

【有機リン農薬による免疫毒性の機序】
 NK細胞は主に二つの機序で標的細胞のアポトーシスを誘導する。その1はNK細胞内顆粒中に存在するPerforin、Granzyme及びGranulysinの放出による標的細胞のアポトーシスであり、これはPerforin/Granzyme/Granulysin pathwayという。その2はFas ligand/Fas pathwayを介した標的細胞の傷害である(8-15)。
 有機リン農薬によるNK活性抑制の機序を解明するために、有機リン農薬DDVPによるこの二つのpathwayへの影響について検討した。
 著者はまず、有機リン農薬DDVPが顕著にGranzymes A, 3, H, Mの酵素活性を阻害することを明らかにした(8)。次に、有機リン農薬DDVPがヒトNK細胞内のPerforin、Granzyme A, B, 3/KおよびGranulysinの量を量依存的に減少させることを明らかにした(10-12)。さらに、RT-PCR法を用いて有機リン農薬DDVPが量依存的にNK細胞内のPerforin、Granzyme AおよびGranulysinのmRNAの発現量も減少させることを明らかにした(13,14)。蛍光顕微鏡を用いてDDVPが量依存的にNK細胞内のPerforinおよびGranulysinのたんぱく質量も減少させ、この減少は細胞内の脱顆粒であることを明らかにした(10)。以上より、有機リン農薬がNK細胞内のGranzymeの活性阻害及びPerforin, GranzymeおよびGranulysinの量の減少を介してNK、LAKとCTL活性を抑制することを明らかにし、初めて有機リン農薬による免疫毒性発現とPerforin, GranzymeおよびGranulysinとの関連性を突き止め、有機リン農薬の免疫毒性の評価について新しい知見を得た(8,10-14)。
 Perforin Knockout (PKO)マウスでは、Perforinがないので、Granzymeは標的細胞内に入れない。またマウスではGranulysinが発現しない。従って、PKOマウスでは、Perforin/Granzyme/Granulysin pathwayは全く機能しなくなり、Fas ligand/Fas pathwayのみを介して標的細胞を傷害することになる。そこで、著者は、PKOマウスを用いて有機リン農薬によるFas ligand/Fas pathwayへの影響を検討した。その結果、DDVPがFasL/Fas pathwayへの傷害を介してPKOマウスのNK,CTL及びLAK活性を抑制することを明らかにした(15)。
 しかし、これだけでは有機リン農薬による免疫抑制を十分に説明しきれず、他の機序も関与していることが示唆されている。そこで、著者は有機リン農薬による免疫細胞のアポトーシスに着目し、まずは有機リン農薬Chlorpyrifosによるヒト単球様細胞株U937細胞のアポトーシスを明らかにした(16)。この結果を踏まえて平成19年〜21年までの科研費助成を得て有機リン農薬Chlorpyrifos及びDDVPがヒトNK細胞のアポトーシスを誘導することによってNK活性を抑制することを明らかにした(17)。最近では有機リン農薬がヒトT細胞のアポトーシスを誘導することも明らかにし、有機リン農薬がT細胞のアポトーシスを介して CTL活性を抑制することが示唆された(18)。

【まとめ】
 有機リン農薬は、以下の機序でNK、LAK及びCTL活性を抑制する。
1) 有機リン農薬は、NK、LAK及びCTLのPerforin/gran zyme/granulysin pathwayへの影響を介してNK、LAK及びCTL活性を抑制する。
2) 有機リン農薬は、NK、LAK及びCTLのFas ligand/Fas pathwayにも影響を与えてNK、LAK及びCTL活性を抑制する。
3) 有機リン農薬は、免疫細胞のアポトーシスを誘導することによってNK、LAK及びCTL活性を抑制する。

引用文献
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18. Li Q et al. Toxicology 2008, doi: 10.1016/j.tox.2008.10.0 03 (in press).
 
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