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免疫毒性学の草創期秘話
荒川 泰昭
(厚生労働省独立行政法人労働安全衛生総合研究所客員)

 はじめに、ご挨拶が遅れてしまいましたが、第17回大会において日本免疫毒性学会の名誉会員の称号を与えていただき、澤田純一理事長はじめ、理事会、会員の皆様に心より御礼申し上げます。

 さて、免疫毒性学の草創期の話をとの編集部よりのご依頼でございましたので、私自身が「免疫毒性学」という概念を抱き始めた経緯ならびにその時代(本学会が発足する前)の日本および世界的背景からご紹介させていただきます。

 東京大学大学院薬学系研究科博士課程を修了(薬学博士取得)後、東京大学医学部衛生学教室の助手に就任し、予防医学の研究に関わり始めましたが、そこでの中心的概念ならびに手法は中毒学であり、リスクアセスメント確立のための毒性学(トキシコロジー)でありました。

 昭和40〜50年(1965〜1975年)当時の日本はヒ素、鉛、水銀、カドミウムなど重金属を中心とした公害大国、公害先進国であり、社会医学の対象領域も伝染病に替わり、公害研究が主流化しておりました。したがって、予防医学に携わり始めた昭和49年(1974年)以後は、種々の公害問題に関わることになりました。

 薬学部時代には、○薬品公害問題であるスモン病において、舌苔ならびに尿中の緑色色素(キノホルム-鉄錯体)の抽出など、キノホルムによるスモン病の解明(田村善蔵、吉岡正則、井形昭弘)を実体験しておりましたが、医学部時代には、○食品公害問題では、台湾におけるPCB中毒(油症)事件の招聘研究指導(台湾政府委託)、○大気汚染問題では、NOx排気ガス規制(福田赳夫総理、通産省委託)の政府諮問委員としての安全性評価、○食品衛生問題では、プラスチック製食器・食品包装材等の安全性評価(美濃部亮吉都知事・東京都委託)、プラスチック添加剤(安定剤、可塑剤、酸化防止剤、紫外線吸収剤、硬化剤:のちに言う環境ホルモン物質を多く含む)の安全性に関する研究(美濃部亮吉都知事・東京都委託)、プラスチック製食器・食品包装材等における有機スズの毒性に関する研究(WHO食品安全委員会)、○海洋汚染問題(のちの環境ホルモン問題の発端)では、有機スズによる海洋汚染問題への招聘研究協力(米国海軍研究所、商務省標準局NBS、ロックフェラー大学ほか全米大学、国際海洋会議)などに身を以って関わってまいりました。

 しかし、これら一連の環境問題を扱う過程で、これからの予防医学は後追い対策ではなく前向き対策が必要であり、健康阻害要因を検索、評価する手法としての毒性学も従来の大量・短期暴露でのLD50レベルの一般急性毒性学的評価ではなく、潜行型環境汚染の如く、微量・長期暴露での慢性毒性学的評価が必要であることを感じ始めてまいりました。そして同時に、その毒性評価も一般毒性のレベルではなく、脳神経機能、免疫機能、内分泌機能など生体機能別に検索、評価することが必要であることを感じ始めてまいりました。

 その根拠は、免疫系では化学物質過敏症、花粉症、アトピー性皮膚炎などの発症要因が、また脳神経系ではパーキンソン氏病、アルツハイマー病などの発症要因が、また内分泌系では海洋生物の生殖異常の発症要因が環境化学物質の微量・長期暴露(潜行型環境汚染)によるものではないかと疑い始めたことにあります。

 そこで、リスクアセスメント確立のための毒性学(トキシコロジー)を教室の主要テーマとして、脳神経機能、免疫機能、内分泌機能など生体機能別に検索、評価する学問体系の構築を目ざし始めました。

 免疫機能の毒性学的研究(免疫毒性学Immunotoxicologyの研究)は、小児科、血液内科など免疫に聡い先生方を交えての免疫学の勉強会に始まり、20年前の古びたCO2インキュベーターの修復、培養室の整備、細胞の分離法、細胞数の測定法、培養法、動物実験室やラジオアイソトープの使用設備など、環境作りと種々の基本手法の取得からの出発でした。

 研究対象とする物質の選定に当たっては、5〜10年先に問題化する環境化学物質は何かと先取りを考え、また当時注目の的であったメチル水銀や有機鉛を考慮して、有機金属の中で自然界や食物連鎖を通して安定に残存し得る物質(すなわち、酸素、炭酸ガス、水などに対して安定な物質)をポーリング(Pauling)の電気陰性度などを駆使して選出し、電気陰性度1.7〜2.0に入るカドミウム、ケイ素、ゲルマニウム、鉛、スズ、アンチモン、水銀、ビスマス、ヒ素、ホウ素などの有機金属を候補に挙げました。

 また一方で、産業界に目をやり、当時産業界において問題となっている水銀、鉛の代替として今後頻用され得る物質は何かを調べました結果、有機スズが産業界におけるプラスチックなど高分子化学の触媒剤は言うまでもなく、農林水産業界において防腐剤、防汚船底塗料、殺菌剤、殺虫剤、殺黴剤、殺藻剤、殺ダニ剤など広範囲において頻用され、その利用量は米国に次いで世界第2 位であることが分かりました。

 そこで、最優先物質として有機スズを取り挙げ、海外から2 年がかりで標準化合物を集め、ガスクロ、液クロで分析法を作り、有機スズの研究をスタートさせました。やがてその3 年後には、この研究が有機スズの食品衛生上の問題点を懸念するWHO特別委員会や海洋汚染を問題視する米国商務省標準局(NBS)、米国海軍研究所などの目に留まり、これら機関およびロックフェラー大学など全米の大学からの招聘、講演、研究協力依頼などへと発展し、国際的規模の有機スズ海洋汚染に関する研究の発端となりました。そして、これがさらに国際海洋会議、国際有機スズと悪性腫瘍シンポジウムなど種々の国際会議開催へと発展し、現在、この有機スズによる海洋汚染は生態系の破壊からさらに環境ホルモン(内分泌撹乱化学物質)の問題へと発展しております。

 この有機スズは、脳神経系、免疫系、内分泌系などの生体機能のいずれに対しても強力な生物活性を持っており、以下に述べる免疫系以外に、脳神経系では記憶学習障害や嗅覚障害(アルツハイマー酷似症状)、血液脳関門の老化、内分泌系では精巣萎縮など生殖機能障害などを誘発し、そのメカニズムを解析する上で極めて重要な知見を提供してくれましたが、ここでは割愛させていただきます。

 さて、その中で、この有機スズは免疫毒性学の研究において多大の貢献をしてくれました。とくに、有機スズによる胸腺ならびに胸腺依存性部位の選択的萎縮やT細胞依存性の免疫機能の抑制作用の発見は、免疫系に毒性を及ぼす鉛、カドミウム、水銀や免疫系に関与する亜鉛、鉄、銅などとの比較において、種々の免疫応答のメカニズムを解析するための最高の材料となりました。すなわち、鉛、カドミウム、水銀などの金属と違って、有機スズは亜鉛と共にあらゆる免疫応答機構に絡んでくれました。

 例えば、有機スズの中のジブチルスズ、ジオクチルスズなどのジアルキルスズによる胸腺萎縮のメカニズムの解析は、有機スズの細胞膜や核ではなく、ゴルジ体や小胞体領域への特異的集積、細胞内リン脂質輸送系の阻害ならびにリン脂質代謝系を介する膜情報伝達系の阻害、DNA合成阻害、細胞増殖抑制、カスパーゼ非依存性の細胞死(ネクロシス)による萎縮などの知見を提供してくれました。

 この有機スズの膜情報伝達系の阻害による細胞増殖抑制機構の解析研究は、有機スズの抗がん作用の発見と同時に、膜情報伝達系を介する新規の抗がん機構の発見にも繋がりました。

 そして、トリブチルスズ、トリフェニルスズ、トリシクロヘキシルスズなどのトリアルキルスズによる胸腺萎縮(ジアルキルスズに比べ弱いが、不可逆性である)のメカニズムの解析は、ミトコンドリア介在のFas/FasL、膜電位変化、Cytochrome C、Bid、CAD、ICAD、カスパーゼカスケード(Caspase 3, 8, 9 およびそのインヒビター)などを介するカスパーゼ依存性の細胞死(アポトーシス)による萎縮などの知見を提供してくれました。

 この有機スズの研究は国際会議においても、オランダのSEINENらのグループと常に切磋琢磨して競い合いました。彼らは有機スズの免疫毒性を免疫現象や応答の面からアプローチしていましたが、私の方はメカニズムの解析を中心に免疫生化学的にアプローチしておりました。また、ある国際会議では、彼らは有機スズの核への集積を中心に理論を構築していたようですが、私の方で有機スズ特異的蛍光試薬(蛍光プローブ)を発明し、それによる有機スズの細胞内分布の解析データを用意していることを知り、急遽、会場で講演内容を変更するというハプニングもありました。(彼らの中で、VOS やPENNINKS は本学会にも招待され、講演を行っております)

 また、有機スズの抗がん作用の発見は世界各国の化学者の興味の対象となり、抗がん活性を利用せんがために数多くの化合物が合成され始め、これまでに米国立がん研究所(NCI)において抗がん性をテストされた金属ならびにメタロイド化合物の中で、スズは最多で、現在2000種以上の化合物がテストされております。ちなみに2 番目に多い金属は末期がんなどに利用されているシスプラチンなどの白金の1500種です。

 また、有機スズの免疫毒性学的研究は、亜鉛を活性中心とする胸腺ホルモンの活性低下や胸腺におけるT-リンパ球の分化成熟過程の異常(質的異常)による免疫応答系の混乱とそれによる免疫機能の低下の研究へと導いてくれました。

 さらに、リン脂質代謝系を介する膜情報伝達系の研究は、アラキドン酸カスケードへの研究へと発展し、ハイドロコーチゾンの10倍の活性で、プロスタグランデイン系を介する浮腫に対して、炎症を量依存性に抑制する有機スズの抗炎症作用の発見へと導いてくれました。

 これらの関連で、海外においては、昭和55年(1980年)頃より「金属や微量元素の新規生物活性の開発」を目指す海外の有機金属化学者や生物有機・無機化学者らと種々の国際会議や国際シンポジウムを開催するようになり、その中でも、とくに第14族元素:ケイ素、ゲルマニウム、スズ、鉛などの生物活性の開発を目ざす米国、英国、独国、露国、仏国、伊国、白国、蘭国等の各国のOrganometallic Chemistryのエデイターらとは持ち回り主催で、毎年のように「スズと悪性腫瘍細胞増殖」、「スズを中心とした新規金属制がん剤の開発や作用機序の研究」、「第14族元素の有機金属化学ならびに配位化学」を中心に国際会議や国際シンポジウムを持つようになりました。

 また、1981年より米国商務省NBSや米国海軍研究所の要請で研究協力を始めた「有機スズによる海洋汚染」の研究や国際会議は、欧州へと拡大し、やがて世界規模へと発展していきましたが、これがのちの生態系を撹乱する内分泌撹乱物質、いわゆる環境ホルモンの研究へと発展していく発端でもありました。

 また、1978年よりプラスチック製造など高分子合成化学工業を生業とするアメリカ、ヨーロッパ、日本を中心とした世界中の企業が自ら「有機スズと環境と健康」を考える国際協会ORTEP( Organotin Environmental Programme) Association を設立し、世界会議を各国持ち回りで開催するようになりました。この会議でも度々「スズと免疫」について招待講演をさせていただきました。

 そして、昭和59年(1984年) になってルクセンブルグで免疫毒性に関するセミナー(The International Seminor on the Immunological System as a Target for Toxic Damage)が開かれ、免疫毒性学としての一つの研究領域が国際的にも定義づけられ始めました。

 一方国内においては、文頭でも記述しましたように、昭和49年(1974年)頃より私どもでは免疫毒性学(Immunotoxicology)を提唱し、学問体系を構築すべく研究を開始しておりましたが、当時の国内の既存学会では、免疫毒性学を一つの学問や研究領域とする意識はなく、例えば種々の学会における免疫関係の発表を抜粋しても、日本衛生学会での講演「有機スズの免疫機能への影響-ジブチルスズによる胸腺萎縮」(1980年4 月)、「有
機スズの抗腫瘍作用」(1985年4 月)や「有機スズの抗炎症作用」(1985年4 月)、日本毒科学会での講演「有機スズの免疫機能への影響-ジブチルスズによる胸腺萎縮」(1980年8 月)や「有機スズの免疫毒性」(1981年8 月)、日本薬学会主催の第1 回金属の関与する生体関連反応シンポジウムでの講演「有機スズとリンパ球」(1982年6 月発足)、微量元素研究会(のちの日本微量元素学会)での講演「金属の免疫毒性」(1984年3 月発足)などのように、既存の研究領域の中で、単なる1 つのアプローチの手法として捉えられているに過ぎませんでした。

 昭和59年(1984年)のルクセンブルグでの免疫毒性に関するセミナー開催と相まって、同年に日本衛生学会主催で第一回重金属ワークショップ「金属の免疫毒性」(1984年10月発足)が組まれ、そこで「有機スズの免疫毒性」を講演させていただきましたが、これが国内で免疫毒性という名のもとに開かれた最初の学術集会であり、免疫毒性学をやっと一つの研究領域とする意識が芽生え、国内においても免疫毒性学への意識や関心が高まり始めた瞬間でした。

 そして、昭和60年(1985年)には「環境化学物質の免疫毒性学的研究」と題して文部省科研費A(3000万円)を受託することが出来ました。これは、国内において免疫毒性学という名のもとに受託した最初の政府助成です。

 また、同年には「医学のあゆみ」(医歯薬出版)に「免疫毒性-環境汚染物質としての金属を中心に」と題して連載企画が持たれ、本学会の現役員である大沢基保先生、藤巻秀和先生方と共に執筆に参加し、私は「有機スズの免疫毒性」について執筆しました。

 そして、国際会議の1 つである「スズと悪性腫瘍細胞増殖」に関する国際シンポジウムが毎年国を変えて開催される中、昭和61年(1986年)に執筆し、1988年に出版された「Tin and Malignant Cell Growth」(単行本)(CRC Press、Boca、Raton、Florida、USA)の中で、Chapter 9: Suppression of cell proliferation by certain organotin compounds.を著しております。

 余談ですが、この30ページにわたる出版前のゲラ刷りをそのまま東京大学医学部の医学博士論文の主論文として提出し、「有機スズの免疫毒性学的研究」と題して、審査委員として選ばせていただいた黒田登志夫(医科研・制がん部)、多田富雄(免疫学)、野々村禎昭(薬理学)、荒木俊一(公衆衛生学)、大沢仲昭(内科学・胸腺免疫)の5 名の教授による審査をいただきました。

 審査は、参考論文として英文10報をそろえて語学試験は免除となり、ほとんど事務的な手続きだけで合格だという審査員の言でしたが、このとき、多田富雄先生(免疫学)よりいただいた「このようなアプローチは非常に面白い。毒性学の領域だけでなく、今後の免疫学においてもこのような毒性学的アプローチが必要だ」、「免疫毒性学なる学問体系の構築を期待している」というコメントが非常に強く印象に残っております。

 その後、平成3 年(1991年)には、医薬品と環境化学物質としての金属を対象とした免疫毒性について、毒性試験講座第10巻「免疫毒性」(地人書館)が出版され、私も第3 章において「金属の免疫毒性試験法」を著しています。これは、国内において免疫毒性という名のもとに蒐集・体系化された最初の出版です。

 そして、多田富雄先生(免疫学)にアドバイスいただいてより6 年後、私どもが免疫毒性学を提唱してからは20年後、平成6 年(1994年)10月に本学会の前身である免疫毒性研究会(のちの日本免疫毒性学会)が発足するに至りました。

 本学会は発足以来、この18年の間に先駆的業績を挙げられている先生方のリーダーシップのもとに会員の皆様方のご研鑽とご活躍により、日本における免疫毒性学研究の唯一かつ中枢的学術集会へと発展して来ております。

 そして、医薬品から食品、環境化学物質に至るまで、免疫毒性学的なアセスメントの必要性は国の内外を問わず益々高まっております。それだけに、本学会の存在は大変貴重であり、今後益々発展していくものと確信しております。

 またそれと同時に、本学会に課せられる今後の課題も山積しております。免疫修飾物質(immunomodulators)あるいは免疫関連反応物質(immune-interacting compounds)の免疫系への修飾を出来るだけ正確に把握するためには、それぞれの反応進行状態に合った、より特異的な検出法の選択が要求されます。すなわち、より特異的な免疫能パラメーターの開発とその確立が必要であり、それぞれのパラメーターから産出されるデータの蓄積とそれらのデータを解釈できる学問体系の確立が必要であると思います。

 最後に、本学会の益々の発展と会員の皆様の益々の発展を祈念いたします。

 
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