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Non-category (寄稿・挨拶・随想・その他)
日本免疫毒性学会の新理事就任にあたって
角田 正史
(北里大学医学部衛生学)

 この度、日本免疫毒性学会の理事を拝命致しました、北里大学医学部衛生学の角田と申します。免疫学の学問を深く究めたわけではなく、身に余る重責とは存じますが、比較的若手(のつもりでおります)に機会を与えようというお考えからと思い、就任させて頂くことになりました。浅学非才の身ではありますが、宜しくご指導、ご鞭撻の程、お願い申し上げます。本学会におきましては、ImmunoTox Letterの編集委員を務めさせて頂いておりますので、今後はより一層自覚を深め、責務を果たしたいと考えております。

 就任を機会に一文をと言うことですので、自己紹介と共に、会員の皆様方の何らかのご参考にと思い、この場では少し私の研究歴と免疫毒性との関わりについて申し上げます。私は平成に元号が丁度変わった1989年3月に新潟大学医学部卒業後、基礎医学研究を志し、衛生学教室に大学院生として所属しました。当時は、日本において公害対策により、環境汚染が原因の疾患が大量に発生する時代は終りを告げており、衛生学が何を研究対象にすべきかが模索されている時代と感じました。学位論文は有機スズ化合物の魚介類中の濃度を測定し、季節変動を検討したものでしたが、自分がどのような方向に進むべきかわからないままの大学院時代でした。ただ新潟大学の理学部に一年間お世話になり、動物実験、化学実験の基礎を学んだことは後の特に海外での研究の際に、基本的技術となりました。

 大学院卒業後は、ピッツバーグ大学公衆衛生学部の公衆衛生学修士のコースに入学しました。ここでは修士取得に、つたない英語で悪戦苦闘しながら、当時新しかった血清中のサイトカイン定量を修士論文のテーマに取り組みました。一年先輩に、現在北里大学の臨床研究センター(KCRC)の教授を勤められている佐藤敏彦先生がおられ、お世話になると同時に、統計学について様々なご指導を賜りました。実験系における統計学の適用について数学的才能に乏しい身ながら、わからない人間がわかるようになるにはどうしたら良いか、考えるようになったのはこの頃です。

 公衆衛生修士終了後、一時日本に戻りましたが、1996年よりジョージア大学の大学院に入学し、R. P. Sharma教授のご指導の下、博士課程において毒性学を専攻しました。最初はフモニシン(カビ毒)の神経毒性から研究を始め、免疫学的指標を検討することになり、ここで漸く免疫毒性を研究の一分野として取り組むことになりました。RT-PCRによるmRNA発現の解析が一般化した頃で、学位論文のテーマであったアルミニウムの生体影響の指標に用いました。当時同級生だったN. Filipov君(現ジョージア大学准教授)や、指導頂いたR.T. Riley先生とは今に至るまで毒性学会に参加する際を中心に交流が続いております。また国立医薬品食品衛生研究所の小西良子先生がジョージアを訪問された際にご知己を得、以後様々な機会でご指導頂くきっかけとなりました。

 帰国後は福島県立医科大学を経て、現職に就き、相澤好治教授の下、日本における毒性学の研究を根付かせるべく、日夜取り組んでおります。帰国に際し、研究テーマの選択において、神経毒性、免疫毒性を持つトリブチルスズに立ち戻って選択し、また中国やインドで実際に環境汚染による疾患が大量に発生しているフッ素の生体影響についても、免疫関連で解明が出来ないか、と検討を続けております。

 私が医学部を卒業した時点での免疫学は、習ったインターロイキンは2種類しかなく、現在の発展と比べると隔世の感があります。研究を続けるためには、自己の勉強不足を補うしかなく、本学会に参加することで、研究所の先生方に共同研究の機会を与えて頂いたり、若手の気鋭の研究者の発表に様々な示唆を得たりして、何とかやっている状態です。今後、良き勉強の機会として学会に参加し、また本学会の発展に幾分かの寄与が出来ますように、学会活動を行なって参りたいと存じます。
 
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