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免疫毒性との付き合い方の1例 


1996; No.3, p7


河内泰英
大鵬薬品工業梶@安全性研究所

 私が免疫毒性と付き合い初めて早いもので7年になります。1984年に入社した私は最初,生殖毒性を担当していましたが,2年後から諸般の事情により抗原性試験を行うようになりました。私にとってはアレルギーや免疫学は未知の分野で,不安に感じつつも新鮮な気持になりました。しかし,試験を何本か実施していくうちに,本来の飽きっぽい性格も加わってか,何か物足りなさを感じるようになりました。そんなとき,Dr. LusterのPCBの免疫毒性の論文だったかを読んで,まさに目から鱗でした。しかもその当時はいわゆるバブルが湧き上がってきた頃で,その追い風に乗ってかアメリカ留学の話が出てきました。そして私は躊躇なく免疫毒性学を勉強したいと言ったのです。会社の理解と食品薬品安全センターの故橋本理事長や小野所長のご尽力により,1989年の10月から2年間,あのDr. LusterのいるNIEHSに席を置く幸運に恵まれました。行ってまず驚いたことは南部訛の英語はもちろん,研究者の顔ぶれです。イタリア,ドイツ,中国そして日本と国際色豊かなことと,研究者のバックグラウンドも毒性,免疫,微生物学等幅広いことです。さらに驚いたことにNIEHSではルーチンの免疫毒性試験は大学等に委託し,研究所では基礎研究に注力していました。生殖や神経系と免疫系との関係に注目した研究,ランゲルハンス細胞やケラチノサイトを中心とした皮膚の免疫系への影響,さらにはアポトーシスと幅広いものでした。羨ましく思ったことは,免疫毒性学に従事している研究者や研究機関が多いことと,Society of Toxicologyをはじめ州単位あるいは西,東海岸単位の研究会,セミナー等討論の機会の多いことです。私といえば,接触過敏反応の研究を行うことになり,日々マウスの耳を切り落として表皮細胞の培養を行い,そうこうしているうちにあっと言う間に2年間が過ぎてしまいました。私の送別会では片耳の無いマウスのぬいぐるみ (耳はシャーレに入っていた) と除毛クリームをプレゼントにもらい,アメリカ人のジョークには最後までお手上げでした。

 日本に帰国してからはなぜか変異原性試験をすることになり,しばらくは片手間で免疫毒性試験をする日々が続きました。突然ですが,私の属しています免疫遺伝毒性グループを簡単に紹介いたします。主に変異原性,抗原性と免毒性試験を行っていますが,ボスの大内田リーダーを含め男性6,女性1名です。最近新人が入ってきませんので,人間は古いままですが,実験室が新しくなり気分爽快で実験をしております。

 話を免疫毒性に戻しますが,日本でも帝京大学の大沢教授らの御努力で免疫毒性研究会が2年前に発足し,私も本当にうれしく思っております。異なった分野の研究者が免疫毒性の元に一同に会して討論し,違った観点から意見を出し合うことは非常に有意義なことと思います。研究会が日本国内にとどまらず世界に目を向けて発展することを願っております。

 今年の3月に2年ぶりに米国毒科学会に参加してきました。免疫毒性関連の発表も毎日のように行われていました。免疫毒性のメカニズムに関連しては細胞のシグナル伝達に関するものやPCRなど分子生物学的手法を用いた解析が目を引きました。一方,免疫毒性変化を環境のバイオマーカーとして利用する動きもみられました。例えば,海洋汚染をアザラシなどの免疫系への異常をバイオマーカーとして利用するものです。感作性に関しては化学物質を経皮あるいは皮下投与した後付属リンパ節でのサイトカイン産生のパターンや抗体のクラスあるいはサブクラスを調べる報告がありました。結果としては接触アレルゲンではT helper 1 (Th1) タイプの免疫応答,すなわちINF-γ産生とIgG2a抗体産生が,吸入抗原物質ではTh2タイプの免疫応答,すなわちIL-4,IL-10産生とIgG1抗体の増加がみられるというものです。最近,自己免疫疾患やアレルギーの発症メカニズムの一つにTh1とTh2タイプの反応のアンバランスが関与しているという報告がみられることから,興味ある結果でした。

 昨日,環境保護団体のグリンピースがダイオキシンの人体への影響を説明するため日本へ立ち寄るというニュース報道がありました。欧米では環境に対する意識が高く,ダイオキシンや鉛などによる環境汚染への関心も高く,またAIDS患者も多いことから免疫毒性学が進歩したとも考えられます。日本でも今後,環境問題への関心の高まりとともに免疫毒性学の重要性が益々増してくるものと期待しております。