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"免疫毒性研究会への想い" 


1996; No.2, p6-7


北條博史
東北大学薬学部

 今回の免疫毒性研究会は第2回目にして,特別講演,ワークショップ,ミニシンポジウム,一般講演などの豊富なプログラムからなり,また会場も大変盛況であったことから,改めてこの分野に対する期待と関心の大きさを感じさせられた。

 私が"免疫毒性の分野"に関心をもった動機は,今にして思えば抗腫瘍性免疫賦活剤の研究に携わったことから生じたと思う。免疫賦活剤の研究は1970年代の初めに盛んになったが,当時はこのような多糖体や細菌製剤のたぐいは医薬品として殆んど存在せず,例外的にワクチン,代用血漿のデキストランなどが見られたに過ぎなかった。従って生体影響についての情報が殆んどなく,私達は免疫賦活剤の体内動態を追跡し,さらに化学療法剤との併用を考慮して薬物代謝酵素系への影響等を調べることにした。

 その結果,免疫賦活剤が網内系機能亢進作用と逆相関的に薬物代謝酵素活性やチトクロームP-450を低下させることを見いだし,またこの機構にALA合成酵素の誘導とヘム分解酵素の誘導が関係する可能性を提案した。その後,私は細胞性免疫学の方向に研究の重点を移し,1985年にはNIHに約1年間にわたり滞在する機会を得たが,ある日,NIH内の書店をのぞくと,J.H.Dean等により編集された新刊の"Immunotoxicology and Immunopharmacology" (Raven Press) が目に入った。勇んで開いてみると,そこには免疫毒性の評価法ならびに医薬品や環境化学物質の免疫毒性データがきれいに纒められており,免疫毒性学の進展と広がりを見せ付けられた思いがした。

 1984年はマンハッタンのはずれで道路を鋏んで向かい合うスローン・ケタリング研究所とロックフェラー大学が,それぞれTNFa,カケクチンとして追跡していた蛋白質の同一性が両者から発表された印象深い年である。この時代は次々とサイトカインが発見され,さらに引き続きリコンビナント標品がこの世に送りだされてきた。こうして生体には通常ごく微量しかないサイトカインが,遺伝子操作技術等で治療薬としての応用の見込がたつと,その多様な生物活性と蛋白質である故の免疫毒性の問題が新たにクローズアップされ始めた。一方では画期的な免疫抑制剤のサイクロスポリンAが臓器移植に使用され始め,免疫毒性に対する関心に拍車がかけられた。しかしこうした状況でも,免疫学会等ではあまり免疫毒性に関する研究発表は少なく,我が国の免疫毒性学は固有の研究分野として容易に発展しない危惧を感じていた。そのような折,今から数年前になるが,昭和大学薬学部の黒岩幸雄教授が中心となって毒科学研連主催の免疫毒性シンポジウムが同大学で開催された。医薬品の安全性に対する認識の高まりの中,このシンポジウムが契機となって本免疫毒性研究会の誕生の運びになったことは,旗揚げの弁として語られている。もちろん世話人の方々の多大なる努力の賜物であることは申すまでもない。

 かくして我々は,免疫毒性に関心をもつ仲間のいわば"ホームグランド"を授かった訳であるが,今後この場を利用してどのような"切磋琢磨"がまされるのだろうか。免疫毒性研究会は,化合物の免疫毒性評価の実務的研究と免疫毒性機構研究の両輪で進んで行く筈である。今回のワークショップのようなラット系の免疫毒性試験法の研究は前者の例で,多くの研究室が参加して行なわれるこのようなクロスチェック方式は相互信頼を有する会員間においてのみ有益な成果を期待できる。免疫毒性機序の研究においては,神経系,ホルモン系との相互作用まで常に視野に入れる一方で,サイトカイン,接着分子,シグナル伝達機構等の新しい知見を積極的に取り込み,同時にその実現のために相互に技術や資材などを活発に交流していくことを夢想している。