≪Non-category (寄稿・挨拶・随想・その他)≫

バイオ薬剤の安全性と免疫毒性 


1996; No.2, p3-4


井上 達
国立衛生試験所
安全生成物試験研究センター毒性部

 先頃,横浜では国際会議場とパシフィコの会議施設を使って,11月29日〜12月1日の会期で,ICH3と呼ばれる医薬品審査の規制にかんする合理的な簡素化をめざした協調協議が,欧州,米国,および日本の三極を中心に2000名を越える参加者のもとで盛大に開催された。ICHでは1991年11月の第1回会議以来,薬剤規制の各極間の調和について,安全性,品質,効能などに分けて種々の項目別に検討がすすめられてきた。これらの中で免疫毒性にかかわる事柄のひとつにバイオ医薬品の安全性に関する試験法の問題がある。

 多くの化学薬剤としての医薬品の作用機序は多岐にわたりそれらを簡単に整理することはむつかしい。しかし今日知られている限りでの生体内活性物質の側から見ると,多くの薬剤は,結局のところ生体に何らかの機序で何らかの細胞 (群) に作用し,これを通じて種々の生体内活性物質の放出を促すなどの方法によってその薬物作用を発揮しているという側面がある。唯,そうした生体内活性物質の多くは例えばサイトカイン・ネットワークと呼ばれるような輻湊した相互作用を背景としていることが少なくないであろうから,多岐にわたるそれら個々の適切な投与法の確立と臨床的活用が必ずしも近い将来に悉く実現するとは思われないが,にもかかわらず,バイオ製剤の"生体がもつ本来の機能の本質的な補完"というその作用の「自然さ」から見る限り,その将来には限りない期待が寄せられるに充分な理由がある。

 このようにバイオ医薬品をめぐる諸問題は新しい課題でありながら確実に近未来を照準とした着実な研究が進められる必要性をもっているが,このものの安全性における問題点は,"表面的には"これらがヒトの遺伝子産物からなる,被検動物にとっては異種タンパク質に相当し,種特異性なども相俟って適切な反応が得られないなど,従来の一般化学薬剤における動物試験法が意味をなさない点にある。従って無用な急性毒性試験や免疫毒性試験はやめる必要があるのだが,しかし,バイオ薬剤に特有で,予測されなくてはならない傷害の予知,それらに対する動物試験に本来求められている役割は放棄されたままでよいわけではない。ただそうした事柄の本質的な検討はいかにも不充分であったとしか云いようがない。これらが充分に考察されてこなかった理由は,そうした物質の産生細胞やその受容体の生体内分布が今日の科学で充分に知られていないこと,受容体の分子機構の殆どがまだほんの研究の途上にあるに過ぎないことなどに基づいている。事実,受容体分子の相互作用や異なったリガンドに対する共通受容体サブユニットの利用などの本態はほんの数年前までは知られていなかったことであり,しかもこうした一つ一つの事象の変化に対応して様々に想定される傷害の基盤が新しい形でカテゴライズされるわけであるから,その予想は形式論理だけではなし得ず,易くは進まない。これを解決するために筆者らが提案している方法はすでに一部で着手されていることでもあるが,先ず第1に各品目 (リガンド) に対する受容体遺伝子のトランスジェニック (「ト」) マウスを作製し,これへの急性投与を検討することである。長期の実験は困難であるが,Pleiotrophismを過大に想定した場合の評価が可能であり,同質の実験をin vitroのパネルで解決することを考えればこれによって得られる情報は計り知れない。第2に当該ヒト・リガンドの「ト」マウスを作製することである。単純化はできないが一般的には,このものと先の受容体遺伝子「ト」マウスの交配により,発がん性をはじめとしたリガンドの長期影響の観察も可能となる。これらの検討は近い将来かなりのテンポで進むと思われるが,さらに加えてヒト蛋白への反応性を改変したMHCやRAG (recommbination activating gene) などの遺伝子の入れ替え動物,Scidマウスをベースにした多重交配遺伝子操作動物などの開発と導入は,当該バイオ薬物の受容体を介さない毒性を検討する上で有効な動物となるものと期待される。これを機会にこうした方面も免疫毒性研究会の会員の方々の大切な研究対象であることを強調しておきたい。

 本稿は,ニュースレターの担当の方から先の研究会の座長として小文を求められたのに対して,今むしろ私どもが直面している,より一般的な免疫毒性に関係する事柄をご紹介することで責めを負うことにして述べたものである。