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≪第10回大会 年会賞≫
ヒ素の免疫毒性発現におけるグルタチオンの役割
櫻井照明、藤原祺多夫
東京薬科大学,生命科学部,環境衛生化学研究室

【目 的】
  アジア地域を中心に大規模に発生している慢性ヒ素中毒では、患者に肝臓肥大や脾臓肥大などの炎症症状が高い頻度で観察され、ヒ素が免疫反応を惹起していることを推測させる。我々は既に、無機ヒ素が肝細胞やマクロファージに対して強い毒性を示し、炎症性サイトカインの放出を伴うnecrosisを誘導するのに対し、その最終代謝産物であるdimethylarsinic acid(DMAsV)は専らapotosisを誘導し、炎症性サイトカインの放出を抑制する事を報告した。また、ヒ素による細胞毒性の発現は細胞内還元型グルタチオン(GSH)により制御されており、GSHは無機ヒ素によるnecrosisには防御的に働くが、DMAsVによるapoptosisには逆に誘導因子として働いている事も明らかにしてきた。今回我々はラットの肝細胞を用い、無機ヒ素によるnecrosis誘導とDMAsVによるapotosis誘導の分子機構をGSHを中心に詳細に検討し、慢性ヒ素中毒時の免疫毒性発現における細胞内GSHの役割を考察したので報告する。1 - 7 )

【方 法】
 ラット正常培養肝細胞TRL 1215は米国国立癌研究所のMichael P. Waalkes博士より供与された。無機ヒ素(亜ヒ酸;arsenite)及びDMAsVは市販されているものを2回再結晶処理をしてから用いた。細胞毒性はAlamarBlue法により測定した。細胞内caspase 3の活性化は市販のキットを用いて解析した。細胞内ラジカル反応はelectronic spin resonance (ESR)により解析した。

【結 果】
 TRL1215細胞におけるarseniteの48時間培養におけるLC50値は35μMで、誘導された細胞死の大部分がnecrosisであった。それに対しDMAsVの細胞毒性は弱く、LC50値は4.5 mMであり、誘導された細胞死は100% apoptosisであった。Arseniteは濃度依存的にTRL1215細胞からの炎症性サイトカインであるinterleukin 1α(IL-1α)の産生放出を増大させたが、DMAsVは逆に抑制した。この結果は、無機ヒ素が肝細胞に対しμMレベルで強い細胞毒性を示し、necrosisを引き起こして生体を炎症に導くのに対し、無機ヒ素が哺乳動物の体内でメチル化を受けた代謝産物であるDMAsVは、これらの細胞に対する毒性が非常に弱く、mMレベルで細胞死を誘導するが、それは炎症を伴わないapoptosisであり、従ってヒ素のメチル化代謝は生体を無機ヒ素による炎症反応の誘起から護る正の代謝反応である事を推測させた。Arseniteの細胞毒性は各種細胞内GSH涸渇剤の添加で増大した。これに対しDMAsVによるapoptosisは、細胞内GSH涸渇剤や、細胞内でGSHと基質を結合させる酵素であるglutathione Stransferase(GST)に対する阻害剤の添加で阻害された。低濃度のGSH涸渇剤処理で細胞内GSH濃度を維持しながらGSHの新合成だけを止めた状態の細胞にDMAsVを添加したところ、apoptosisが誘導される前に細胞内GSHの消失が認められた。細胞にDMAsVとGSHを同時に添加した場合、これらは細胞外で容易に結合する事が分析化学的及び生化学的手法により証明されたが、この結合体は分子量が大きすぎて細胞内には入る事ができなかった。また、DMAsVによるapoptosisはGSH-DMA複合体代謝酵素阻害剤やラジカル消去剤の添加により部分的に阻害され、GSH-DMA複合体代謝酵素阻害剤とラジカル消去剤の同時添加でほぼ完全に阻害された。ESRによりDMAsVがTRL1215細胞にapoptosisを起こし始める時にthiylradical(RS.)が細胞内で発生する事が確認された。さらに、DMAsVによるapoptosisは、apoptosisを直接起こす酵素であるcaspase3に対する阻害剤の添加で完全に抑制され、caspase3の上流に位置するcaspase8、及びcaspase9に対する阻害剤の添加で部分的に抑制された。また、細胞内caspase3活性は、DMAsVの添加後18時間をピークに著しく上昇し、この上昇は細胞内GSH涸渇剤の添加により完全に抑制された。これらの実験結果より、DMAsVによるapoptosisは、DMAsVが細胞内に取り込まれて細胞内GSHと結合する事を起点とし、続いて生成したGSH-DMA複合体が細胞内で酵素的に代謝される過程で不安定なthiyl radical分子が生じ、それがcaspase cascadeを活性化して誘導されている事が推定された(Fig.)。この様なメカニズムでapoptosisを起す化学物質
は、今のところDMAsV以外には報告されていない。
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Fig. Molecular mechanisms of arsenicals-induced cytolethality

【考 察】
 無機ヒ素は免疫細胞や肝細胞に活性酸素の産生を介して主にnecrosisを誘導し、細胞内GSHはそれを防御している。一方で無機ヒ素のヒトでの最終代謝産物であるDMAsVは、専らapoptosisのみを誘導し、それには細胞内に取り込まれたDMAsVがGSHと結合する事が必須である。アジア地域の慢性ヒ素中毒患者に観られる炎症や癌の発症は、微量な無機ヒ素を長期間摂取した事により、生体の酸化還元反応などの恒常性のバランスが崩れて誘導されているものと推測される。そしてその鍵となるのが恐らく生体内のGSHである。実際に慢性ヒ素中毒患者の血液中GSH濃度は健常人に比べて低い事が報告されている。8) 慢性ヒ素中毒により何らかの理由で生体内のGSH濃度が低下すると、猛毒である無機ヒ素の毒性や発癌性が高まり、さらに無機ヒ素の最終代謝産物であるDMAsVによるapoptosis誘導も正常に働かなくなり、結果的にダメージを受けた異常な細胞が生き残ってしまうと考えられる。GSHは無機ヒ素のメチル化代謝における重要な補助因子でもあるので、GSHが不足すればヒ素のメチル化が上手く働かず、毒性の高い無機ヒ素が体内に貯留してしまう可能性もある。即ち、生体内GSHレベルが低下すると、それぞれのヒ素代謝産物がそれぞれ異なった毒性を示し、結果的に癌をはじめとする様々な慢性ヒ素中毒症状を発症させるのであろう。我々の最新の研究では、arseniteは細胞外濃度がμMレベルになると、リン酸transporterを通って細胞内に侵入し、細胞内濃度がnMに達すると活性酸素産生を介して細胞にnecrosisを誘導する事が明らかとなった。この時、細胞内GSH濃度が十分量(mMレベル)存在する場合は、GSTの働きでarseniteとGSHが結合すると共にarseniteは酵素的なメチル化代謝を受けDMAsに変換される。DMAsは細胞内に留まる事が出来ず、恐らくMRPファミリーやP-糖タンパク質などの薬物transporterを介して速やかに細胞外に排出される。一度細胞外に排出されたDMAsはもはや容易に細胞内へ入る事ができない。即ち、ヒ素のメチル化代謝は猛毒な無機ヒ素を細胞外へ排出する為の解毒機構であるとも言える。しかし、何らかの理由でDMAsVが細胞外に蓄積しその濃度がmMに達すると、DMAsVは非能動的に細胞内にわずかに滲入し、nMの細胞内濃度でGSTを介してGSHと結合し、きれいなapoptosisを誘導する。この様に、ヒ素のメチル化代謝の真の意義と、それにおけるGSHの役割がようやく明らかになってきた。今後更に研究を進め、ヒ素の毒性発現機構と、それに対する生体側の防御機構をGSHを中心に解析し、例えばGSHを患者に投与するなどしてアジアの人々を慢性ヒ素中毒の脅
威から救う事ができれば幸いである。更に、最近さかんに行われつつある、無機ヒ素の急性白血病治療への応用にも、我々の研究が、例えば抗白血病細胞作用の機序の解明や副作用の緩和などの面で役立つ事ができれば甚大である。

【謝 辞】
 本研究をすすめるにあたり実験の補助に尽力頂きました稲沢浩子女史、落合将之氏、小島力氏、太田宇海氏をはじめとする本研究室の学生諸氏に心より感謝致します。また、毎年参加させて頂く免疫毒性学会において、企業の方々などの発表を聞く事により、私の研究も具体的にヒトの為に役立たなければならないという思いを強くしており、いろいろな意味で免疫毒性学会には感謝致しております。

文 献
1) Sakurai, T., Kaise, T., Matsubara, C.,Chem. Res. Toxicol., 11, 73 - 283 (1998).
2) Sakurai, T.,Biomed. Res. Trace Elements, 13, 167 - 176 (2002).
3) Sakurai, T., Qu, W., Sakurai, M.H., Waalkes, M.P.,Chem. Res. Toxicol., 15, 629 - 637 (2002).
4) Qu, W., Bortner, C.D., Sakurai, T., Hobson,M.J.,Waalkes, M.P.,Carcinogenesis, 23, 151 - 159 (2002).
5) Sakurai, T.,J. Health Sci., 49, 171 - 178 (2003).
6) Sakurai, T., Ochiai, M., Kojima, C., Ohta, T., Sakurai,M.H.,Takada, N., Qu, W., Waalkes, M.P., Fujiwara, K.,Toxicol. Appl. Pharmacol., in press.
7) Sakurai, T., Kojima, C., Ochiai, M., Ohta, T., Sakurai,M.H.,Waalkes, M.P., Fujiwara, K.,― 13 ―Vol. 8 No. 2 (2003)Toxicol. Appl. Pharmacol., in press.
8) Pi., J., Kumagai, Y., Sun, G., Yamauchi, H., Yoshida,T., Iso, H.,Endo, A., Yu, L., Yuki, K., Miyauchi, T., Shimojo, N.,Free Radic.Biol.Med., 28, 1137 - 1142 (2000).
 
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